ありきたりな恋の結末


 薔薇の香りとは包まれるもんじゃない…法介はそう認識する。噎せ返りそうになる甘い匂いが立ちこめる温室で法介は悲鳴を上げた。
 響也は慣れた様子で、通路に膝をつき一房の花を手に取ると、法介に差し出して来た。白い薔薇はその清楚(に見える)外見とは違い、法介の鼻を直撃する。
「勘弁してください。俺こういうの苦手なんですよ!」
 両手でぐぐっと鼻を押さえ込み、目を白黒する法介の姿に響也はクスクスと笑った。
「おデコくんって面白いや。」
「おもひりょくありまへぇん!!」
 必死の抗議も響也の爆笑を誘うだけ。それでも薔薇を背に笑う男は確かに絵になる。さっきからくるくると表情を変える男をどうにも視界に捕らえてしまって、我ながら赤面してしまう。
 それを隠すように、法介は声を張った。
「わざわざこんな所に連れ込んで、俺に用事があるんじゃないんですか!」
 捲し立てたせいか、響也はきょとんとした目をしてから微笑んだ。
「やっぱり、おデコくんはスゴイや。」
「…アンタ何企んで…。」
 響也に詰め寄ろうとした法介は顰められた声と歪んだ表情に動きを止める。
「僕の兄、牙琉伯爵が変なんだ。」

 …は?

「あの、それって、変な趣味があるから何とかしてくれ…とかですか?」
 辛うじて出て来た言葉に、響也は柳眉を上げる。
「真面目に聞いておくれよ、おデコくん!」
「は、はい…。」
 語尾と共に前髪も萎びる。
 冷たい印象は受けたが、肉親である響也が(変)と告げるほどとは思えなかった。一分の隙もない身なりと言い慇懃な態度と言い、変人と分類される人間とは思えなかった。
「ちょっと前に、欧州で逢った兄貴は普通だったんだ。なのに、怪盗から予告状が届いたって連絡があって、戻ってみれば、兄貴が変わってた。」
「…具体的にどう、変わったんですか?」
 そう問えば、響也はふるりと首を横に振った。
「具体的には何もない。
 変な言い方をすれば、牙琉霧人らしすぎるんだ。僕の知っている霧人よりも霧人らしいって言ってもいい。
 でも、あれは違う、兄貴じゃない。」
 ギュッと唇を噛みしめる響也の姿に法介は嘘ではないと信じた。
 法介には幼い頃から不思議な力があった。他人が嘘をつくとそれが些細なものであっても何となくわかってしまうというもの。百発百中という訳にはいかなかったが、それなりに仕える力だ。
 それが、法介に嘘ではないと告げていた。
「法介の新聞社は力がある訳じゃあないけど、いつも馬鹿みたいに大袈裟な記事を載せている所と違って、細かな取材に裏付けされた真実をのせている新聞だ。
 だから大手なんかと違って、伯爵の権威で全てを片づけないだろうと思った。
 さっき会社で古い記事も読ませてもったけど、丁寧に取材されていて誰かの味方になってない記事だった。」
 
 ふっと響也が顔を上げる。
「おデコくんなら、僕の話を聞いてくれると思ったんだ。」
 真っ直ぐに向けられる信頼にか、真っ直ぐに見つめてくる淡い色の瞳にか、法介の胸はドクリと疼いた。
 どうしてだか、法介の右手が動いた。
無意識に上がった手は、頬に触れた。目の前の、男の、金色の髪がかかるその頬に。
 褐色の肌は滑らかで法介の指先を拒もうとはしない。輪郭の緩いカーブをなぞり、顎へと触れる。
 じっと見つめてくる響也の瞳は、澄んだ水色だったはず。閉じられた瞼にそう感じた。

「響也!いないのですか!?」

 鋭い声に、法介は夢から醒めた心地がした。急に、そう急にだ。
指先から響也の体温が自分に流れ込んで来る気持ちになって、慌てて引き剥がす。
「…あ、俺…。」
 自分の行動の異常さに、何か言葉を紡がなければと焦る法介に響也の反応は薄い。
そう言えば響也は何故瞼を閉じていたのだろうか。
「響也!」
 それでも、兄の呼び掛けに辛うじて己を取り戻した様子だった。法介の方をちらりと見て口を開いたが、どうも言葉にならないらしい。
 ぼそぼそと聞こえて来たのは兄への呼び掛けだった。
「え、あ、あの、兄貴…!」
 それでも声が上擦り、どもり気味だ。
「響…「すぐ出るから其処で待ってて!」」
 立ち上がって、洋服を叩き法介を即す。早足で扉を潜った響也が仁王立ちになっている霧人の元へ向かったのを追おうとして、法介は何者かの強烈な体当たりを喰らって、地面へと押し倒された。
 流石に英国風の庭園なだけはあり、芝生が敷きつめられていたお陰で泥まみれにならずに済んだけれど、法介はのしかかってくる獣に瞠目した。
 結構な体躯の犬。茶色にふさふさとした尻尾を上下に揺らして、ワフンと啼いた。

「ああ、ボンゴレ。お客様ですよ、止めなさい。」

 霧人の一言で、犬はお座りの格好で彼に顔を向けた。微動だにしない格好といい、ぴしりと向けられた表情といい、キチンとしつけられているようだ。
「王泥貴君でしたか、貴方が拙宅の客には見えなかったようで、ボンゴレが不作法をしてすみません。」
 謝っているようで、小馬鹿にされた感が強い台詞に王泥貴の頬が引きつった。
「いいえ、綺麗な良い犬ですね。」
「ええ、ゴールデンレトリバーという血統書付きの犬ですから。きゃんきゃんと吠えるだけの駄犬とは違いますよ。」
 眼鏡を指先でくいと押し上げる慇懃無礼な態度が、牙琉伯爵の笑みを彩った。
「そんな事、どうでもいいじゃないか、ボンゴレはおデコくんが気に入ったんだよな。
 いいから、遊んで貰えよ。」
 響也に頭を撫でられ、ボンゴレは大きく尻尾を上下左右に振り回す。タッと地面を蹴る音と同時に、ぎゃ〜と法介の叫び声が庭園に響いた。
 
「響也、いい加減になさい。貴方という人は…。」
 ボンゴレと遊んでいるのか、遊ばれているのかわからない法介が庭を逃げ回っているのを横目に、霧人は呆れた表情で溜息をつく。
「だいたい、いつまでこっちにいるつもりですか。
 あちらの学校へ無駄にお金を支払っている訳ではないのですよ?」
「学業は優秀だよ。僕を誰だと思ってるの?」
 ツンと唇を尖らして、響也は兄を見遣る。そして、甘える様子で霧人の腕に、自分の腕を巻き付けた。
「久しぶりに日本に戻ったんだから、もう少しゆっくりさせてくれたっていいじゃない?」
「…だったら、大人しくしていて欲しいものですね。」
 霧人は邪険に腕を振り払うと、踵を返した。





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